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浦和地方裁判所 昭和51年(ワ)102号 判決

原告

今井安治

右訴訟代理人弁護士

市川幸永

(ほか五名)

被告

日本鋼管ライトスチール株式会社

右代表者代表取締役

長久元

右訴訟代理人弁護士

高井伸夫

(ほか二名)

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告と被告との間に雇傭関係が存続することを確認する。

2  被告は、原告に対し、昭和五〇年一二月二四日以降毎月九万七五九〇円の金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第二項につき仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、昭和三五年一一月に設立され、本社と工場を埼玉県熊谷市に、管理、技術、営業を統括する東京事務所を東京都中央区日本橋に置き、大阪市、名古屋市、福岡市等全国一三か所に営業所を有し、軽量形鋼、ガードレール、スチールセグメント、コルゲートパイプ等建材、道路、土木製品を製造、販売する従業員八三八名(昭和五〇年一二月末日現在)の株式会社である。

2  原告は、昭和四八年一〇月一五日、被告との間で、勤務内容を事務職、勤務地を熊谷、給与は被告の賃金規則によるとの労働契約を締結し、被告に雇傭され、熊谷工場製造部工程課(後に組織改正により管理部生産管理課と呼称変更)第一加工工程係に配置され、ガードレールの工程管理を担当し、その後は、右生産管理課成形工程係に所属して成形関係製品(軽量形鋼、軽量鋼矢板、プランクシート等)の工程管理を主として担当して、昭和五〇年一〇月当時月額九万七五九〇円の給与を支給されていた。

3  原告は、昭和五〇年一〇月二九日、被告より被告熊谷工場工場長代理城長江を通じて、同年一一月一日付で営業部土木製品課(東京事務所)へ配置転換したい旨の申入れを受け、翌三〇日にその発令(以下、本件配転という。)を受けたが、これに応ぜず、その後も従前のとおり、熊谷工場管理部生産管理課において就労していたところ、被告は、これを理由として、同年一二月二四日付で原告を解雇(以下、本件解雇という。)したとして、解雇通知書を内容証明郵便で原告に送付してきた。

4  しかしながら、本件解雇は、次の理由により無効である。

(1) 配転命令権の不存在

原、被告間の労働契約は、職務内容を事務職、勤務地を熊谷とするとの合意で締結されており、被告による本件配転の申入れ、発令は、勤務内容、勤務地という右労働契約の基本的事項の変更をともなうものであるから、かかる事項の変更につき、原告の同意を求めるものにすぎず、被告の一方的命令で配転を強いることはできない。

仮に、勤務内容、勤務地についての前記合意が認められないとしても、労働契約締結の際の事情、労働契約締結後の勤務の実情、その他の慣行等を考慮すると被告には原告の承諾なくして原告に対する配転命令権はない。

従って、原告は、本件配転の申入れを承諾していないのであるからこれに応ずる義務はなく、原告が、新勤務地に赴かず従前のとおりの就労を継続したことを理由とする本件解雇は無効である。

(2) 思想、信条を理由とする差別的取扱

原告は、被告に入社後、職場の内外において日本共産党を支持し、その機関紙である「赤旗」の普及につとめ、或は国会議員選挙等各種選挙において同党の立候補者等の応援を行ってきた。また組合員としても積極的に活動し、組合役員選挙に原告と同一の立場で立候補した執行委員候補を応援し、その支持者拡大に活動し、職場討議などでは右立場で積極的に発言するなどし、労働組合に労働者の諸要求を正しく反映させるために奮闘している。本件配転及び本件解雇は、このような原告の思想、信条を理由とした差別的取扱であるから労働基準法三条に違反し無効である。

(3) 権利の濫用

原告は、農家の長男であって、被告に入社した後も、勤務のかたわら母親とともに農業に従事し、必要な世間づきあいも行ってきた。本件配転は、原告に、会社をやめて農業専業となるか、配転を受け容れて会社勤務専門となるかの二者択一をせまるものであり、必要な世間づきあいも困難にしまた、通勤にも非常に支障をきたすものであって、原告にかかる犠牲をしいてまで原告を配転させる業務上の必要性はない。

また、被告は、本件配転の内示の後、その再考を求める原告に対し、何ら本件配転の業務上の必要性について説明せず、本人の申出た諸条件について考慮することなく、内示があった直後の昭和五〇年一〇月三一日には直属の課長が、「会社で決まったことだから行かないとまずいことになるから行った方がよい。」と強迫的に言い、同年一一月二日にも、同様に配転に応ずるよう迫りながら、配転理由についての説明は拒み、原告が同月一三日苦情処理委員会へなした申立についても一切討議することなく、いわば信義則にもとづく説得を行わずに社内手続も無視して解雇を強行したものである。

従って、本件配転及びこれに応じないことを理由とする本件解雇は権利の濫用にあたり無効である。

よって、原告は、被告に対し、雇傭関係が存続することの確認及び昭和五〇年一二月二四日以降毎月給与として金九万七五九〇円を支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2のうち、原告が、昭和四八年一〇月一五日、被告と労働契約を締結し、被告に雇傭されたこと、その給与が被告の賃金規則によるものであること、採用後、熊谷工場製造部工程課(後に組織改正により管理部生産管理課と呼称変更)第一加工工程係に配置され、ガードレールの工程管理を担当し、その後は、右生産管理課成形工程係に所属して成形関係製品(軽量形鋼、軽量鋼矢板、プランクシート等)の工程管理を主として担当していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3  請求原因3のうち、原告が昭和五〇年一一月一〇日以降就労していたことは否認する。その余の事実は認める。但し、同年一〇月二九日に、城工場長代理を通じて原告に配置転換する旨伝えたのは、本件配転の内示である。

なお、原告は、営業部土木製品課に出勤、就労せず欠勤し、同年一一月一〇日以降も熊谷工場管理部生産管理課に強行就労しようとしていたものである。

4  請求原因4冒頭の本件解雇が無効であるとの主張は争う。

(1) 同4(1)の主張は否認する。被告が従業員である原告に対し配転命令をなしうることは、後に主張するとおりである。

(2) 同4(2)のうち、本件配転と本件解雇が、原告の思想、信条を理由とするものであることは否認し、その余の事実は不知。

(3) 同4(3)のうち、原告が農家の長男であることは認めるが、被告に入社後も勤務のかたわら母親とともに農業に従事してきたこと、必要な世間づきあいを行ってきたことは不知、その余の事実は否認する。

労働契約を締結することは、私生活上の犠牲を大なり小なり負担することを意味するものであって、農業に従事することや農家の長男としての世間づきあいが困難になることをもって配転を拒否する正当な理由とはいえず、また、原告の東京事務所への通勤時間は二時間一五分前後であって、熊谷工場から東京事務所に配転になった多くの従業員は現に二時間前後の時間をかけて通勤しており、東京周辺においては右の通勤時間は必ずしも特異ではないし、会社は、申出があれば原告に借上げ社宅を提供する用意がある旨表明しているのである。本件配転について業務上の必要性があること、本件配転の内示後、本件解雇に至るまで約二か月にわたり、被告が、原告に対し本件配転の背景、理由等につき縷々誠意をもって説明を重ねてきたことは後に主張するとおりである。

三  被告の主張

1  被告は、昭和三五年一一月創立以来約一〇年間、専ら製品の製造を業とし、その販売を日本鋼管株式会社に委ねてきたが、昭和四五年四月に至って、同社より販売権を継承し、一般市場での製品の販売業務を開始し、これにともなって、同月、東京、大阪、名古屋、広島、九州地区に、昭和四六年、仙台、新潟、富山、静岡地区に、昭和四七年、北海道地区に、昭和四八年、四国、沖縄地区に営業所等を開設し、販売活動のための体制作りを図ってきた。このような販売部門の拡充にともない、被告の営業部員は、昭和四五年当時五六名であったものが、昭和五〇年末には約一〇〇名増員されて一五二名に達した。被告は、右営業部員の大半をしめる男子従業員については、本社、熊谷工場において勤務している従業員を配転してこれにあてた。

2  被告が、販売権継承以来本社、熊谷工場の従業員を営業部員に配転する経営方針を採用した所以は、製品知識、製作期間、製造工程知識等生産、製品に関する知識を保有する者が販売活動に従事すれば販売活動を円滑に進めることができるからで、営業力の強化に役立つからである。このため、昭和四五年以降は、従業員を採用する際に応募者本人に転勤可能か否かを確認し、転勤を可能とする者に限って採用して来たのであって、原告についても転勤可能ということを確認して採用したのであり、また、被告には事務職、営業職、技術職という職種概念は存在せず、資格制度上事務系統、技術系統という職群が設けられているにすぎず、右職群は配転の限界を画するものではないし、原告の本件配転前後の職務はいずれも事務系統に属するものである。

3  被告の就業規則五五条には、「業務上必要ある場合は、本人の技能、健康等を考慮のうえ異動させることがある。」と定めており、原告は、被告に入社するにあたって提出した誓約書において、「今般貴社に採用のうえは社規を遵守し誠心誠意社業に精励いたします。」と誓約し、右社規に就業規則が含まれるのは勿論であるから、被告が原告に対し包括的な配転命令権を有することは明らかである。

4  昭和四八年のいわゆるオイルショックに伴う不況の長期化から被告は拡販強化策の積極的実施、販売拠点の増強の必要にせまられ、昭和五〇年一一月、北関東地区の販売体制の拡充と販売力の強化を図るため、高崎、宇都宮地区に事務所を開設することとし、両新設事務所の男子の要員には営業活動に精通した東京事務所在勤者を充てだため、東京事務所の営業部要員として二名を欠くことになり、従来通り熊谷工場に営業の即戦力となりうる人材を求めた。熊谷工場で右要件を最も充足するのは製品知識、製造工程知識を保有する管理部生産管理課の工程管理担当者であり、被告は工程管理を担当する同課加工工程係、成形工程係から各一名の係員を営業部員として配転することにした。原告の所属していた成形工程係には当時三名の係員がいたが、当時、大幅な生産量の落込みから三名にふさわしい業務量がなかったので、二名となっても業務に支障はなく、同係から原告が配転対象に選ばれたのは係員三名のうち一名は係長であって組織運営上動かすことができず、他の一名は当時五三歳の高齢者でぜん息持ちであったことから配転対象とすることは不適当であるのに対し、原告は入社以来一貫して工程管理関係業務に従事しており、製品知識、製造工程知識を充分に備えており、年齢も当時二七歳と若く、健康、体力にも恵まれ、営業部員として最適と判断されたからである。

5  被告は、原告に対し、昭和五〇年一〇月二九日、本件配転を内示のうえ、翌三〇日、同年一一月一日付で営業部土木製品課への本件配転を命じ、同月八日までに引継をし、同月一〇日に同課で勤務につくよう指示した。しかし、原告は、同月一〇日以降同年一二月二四日までの間、同課に出勤せず、命ぜられた就労をしなかった。被告は、この間、本件配転の意義、理由を原告に再三にわたって説明し赴任するよう説得し、同年一一月二七日、内容証明郵便で同年一二月一日から赴任するよう重ねて業務命令を発し、更に同月六日から赴任するよう同月三日付内容証明郵便で命令するなど、誠意をもって原告を説得してきたものである。

6  原告が右の如く本件配転を拒否し、所定の営業部土木製品課に出勤せず、就労しなかったので、被告は、就業規則六〇条一項二号、九号、二項、労働協約四一条一項三号、八号、二項に基づき、同月二四日被告人事課長大沢を通じ原告に対し解雇する旨を文書を提示して通告し、同時に三〇日間分の解雇予告手当金を現実に提供した(原告は右解雇予告手当金の受領を拒否したので、被告は、解雇通知の内容証明郵便を送付するとともに、解雇予告手当金を直接原告あて送付した。)。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1は不知、2の事実は否認ないし争う。

2  同3のうち、就業規則五五条に被告主張のような定めがあり、原告が入社にあたって提出した誓約書に被告主張のような文言があることは認めるが、その余は争う。

3  同4の本件配転について業務上の必要性がある旨の主張は争う。

4  同5のうち、被告が、原告に対し、昭和五〇年一〇月二九日、本件配転を内示のうえ、翌三〇日、一一月一日付で営業部土木製品課への本件配転を命じ、同月八日までに引継をし、同月一〇日に同課で勤務につくよう指示したこと、原告が、同月一〇日以降同年一二月二四日まで同課へ出勤しなかったこと、被告から原告に対し、同年一一月二七日付で同年一二月一日から赴任するよう、同じく同月三日付で同月六日から赴任するよう記載のある内容証明郵便が届けられたことは認めるが、その余は争う。原告が、被告に本件配転についての業務上の必要性について説明を受けたのは、同月二三日に、被告労務課長代理吉崎からの説明があったのが初めてである。

5  同6のうち、原告が就労しなかったこと、原告が営業部土木製品課に出勤しなかったことが就業規則六〇条一項二号、九号、労働協約四一条一項三号、八号に該当することは争い、その余は認める。

第三証拠(略)

理由

一  被告は、昭和三五年一一月に設立され、本社と工場を埼玉県熊谷市に、管理、技術、営業を統括する東京事務所を東京都中央区日本橋に置き、大阪市、名古屋市、福岡市等全国一三か所に営業所を有し、軽量形鋼、ガードレール、スチールセグメント、コルゲートパイプ等建材、道路、土木製品を製造、販売する従業員八三八名(昭和五〇年一二月末日現在)の株式会社であること、原告が、昭和四八年一〇月一五日、被告と労働契約を締結して被告に雇傭され、その給与が被告の賃金規則によるものであること、採用後、熊谷工場製造部工程課(後に組織改正により管理部生産管理課と呼称変更)第一加工工程係に配置され、ガードレールの工程管理を担当し、その後は、右生産管理課成形工程係に所属して成形関係製品(軽量形鋼、軽量鋼矢板、プランクシート等)の工程管理を主として担当していたこと、原告は、被告より、昭和五〇年一〇月二九日、熊谷工場工場長代理城長江を通じて本件配転の内示を受け、翌三〇日、本件配転命令を受けたが、これに応ぜず、同年一一月一〇日から同年一二月二四日まで営業部土木製品課に出勤しなかったところ、被告は、同月二四日、原告に対し、被告人事課長大沢を通じ、文書を提示して解雇する旨を通告するとともに三〇日分の解雇予告手当金を現実に提供したこと(原告がこの受領を拒否したため、解雇通知の内容証明郵便を送付するとともに、解雇予告手当金を直接原告あて送付したこと)は当事者間に争いがない。

二  そこで本件解雇の効力について判断することとする。

(一)  被告の営業活動の開始と拡大

被告が、昭和三五年一一月創立以来約一〇年間、専ら製品の製造を業とし、その販売を日本鋼管株式会社に委ねてきたが、昭和四五年四月に至って、同社より販売権を継承し、一般市場での製品の販売業務を開始し、これにともなって、同月、東京、大阪、名古屋、広島、九州地区に、昭和四六年、仙台、新潟、静岡、富山地区に、昭和四七年、北海道地区に、昭和四八年、四国、沖縄地区に営業所等を開設し、販売活動のための体制作りを図ってきたこと、このような販売部門の拡充にともない、被告の営業部員は、昭和四五年当時五六名であったものが、昭和五〇年末には約一〇〇名増員されて一五二名に達したこと、被告は、右営業部員の大半をしめる男子従業員については、本社、熊谷工場において勤務している従業員を配転してこれにあてたことは、(人証略)により認められ、他に右認定を動かす証拠はない。

(二)  原、被告間の労働契約の内容と配転命令権の存否

まず、原、被告間に昭和四八年一〇月一五日締結された労働契約が、勤務内容、勤務地をそれぞれ事務職、熊谷に限定した契約であるか否かについて検討する。

被告の就業規則五五条に「業務上必要がある場合は、本人の技能、健康等を考慮のうえ異動させることがある。」との規定があり、原告が被告に入社にあたって提出した誓約書に「今般貴社に採用のうえは社規を遵守し誠心誠意社業に精励いたします。」との記載があることは当事者間に争いがなく、(証拠略)を総合すると、被告は、前記の如く日本鋼管株式会社から販売権を継承して以降、全国各地に営業所等を開設して販売体制の拡充を図っていたが、そのための営業要員は、即戦力、営業力の強化という面から本社、熊谷工場からの配転によって製品知識、製造工程知識等を有する従業員をあてざるを得なかったため、新たに従業員を採用するときには、転勤が可能か否かが採用の一つの重要な要件となっており、採用面接の際には必ずこの点を確認することとなっていたこと、被告には事務職、営業職、技術職という職種の区別はなく、社内秩序の確立と人事管理の便宜のため資格制度上事務系統、技術系統の二つの職群に区分しているにすぎず、従業員の能力、適性を考慮して職群相互の交流もなされていること、原告は、高校を卒業後一時東武鉄道に運転士として勤務していたが、父親が病気したためこれを辞め、その後父親が死亡したので農家の長男として母親とともに農業に従事していたが、被告の従業員募集広告を毎日新聞で読んでこれに応募したこと、原告の採用面接は、昭和四八年一〇月一二日、被告人事課人事係長立石英勝がこれを担当し、約三〇分かけて行われ、この間、原告の家族状況、東武鉄道での仕事内容等につき質問がなされた後、原告は、希望する仕事の内容については事務を希望する旨、総務、人事、経理、営業、生産管理等の事務のうちどういう方面の事務を希望するかという問いには事務なら何でも結構である旨それぞれ答え、更に勤務地につき、全国に営業所があるが転勤できるかとの質問には、転勤できるが、同年一月に父親が亡くなったばかりで、家庭内も落ちつかず、現時点では無理で、当面できるなら自宅から通勤できる範囲を希望する旨答え、また今後、農業はやめて会社の仕事に専念できる旨も申述べたこと、農家の長男であって熊谷から東京へ配転になった者が昭和四五年三月から昭和五〇年までに一九名いることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

以上の諸事実からすれば、原、被告間の労働契約は、原告主張の如く勤務地、勤務内容をそれぞれ熊谷、事務職と限定する旨の特約のついたものとは到底いえず、被告主張の如く業務上の必要があれば、被告は、技能、健康等を考慮のうえ、原告を配置転換する権限を有する旨の労働条件が含まれているものと解される。

(三)  本件配転命令発令の事情

(人証略)によれば、次の事実が認められ、その認定を覆すに足る証拠はない。

昭和四八年末のいわゆるオイルショックを契機に経済界の大きな変化と景気低迷によって、企業間競争は一層厳しくなり、被告は、これに対処するため、積極的な拡販強化策を実施するのはもとより販売拠点を増強する必要にせまられ、昭和五〇年一一月、北関東地区の販売体制の拡充と販売力の増強を図るため、高崎、宇都宮地区に事務所を開設することを決定した。右両事務所の開設にともなう必要人員は両事務所が新設であることから営業活動に精通した者を東京事務所から人選してあて、その補充として二名の人材を従来どおり熊谷工場に求めた。熊谷工場で勤務している従業員で、最も営業の即戦力となりうるのは、製品知識、製造工程知識を保有している管理部生産管理課の加工工程係、成形工程係の工程担当者であって、当時、原告が所属していた成形工程係の係員は三名であるが、本件配転で原告が去り、同係が二名の係員となったとしても、いわゆるオイルショックによる経済不況で同係の担当する建材製品の需要が大幅に減退し、これにともなって生産量も減少しているので、業務上の支障はなかったものである。成形工程係の三名のうち一名は係長で、ラインの長であることから配転は無理であり、原告以外の一名は当時五三歳の高齢で、しかもぜん息持ちであったので配転対象とすることは不適当であったが、他方、原告は、加工工程、成形工程の仕事を経験して製品知識、製造工程知識を兼備えており、若く健康、体力にも恵まれているので、営業の即戦力となりうる人材として最適であると判断され、営業部土木製品課への配転対象として成形工程係の三名の中から人選され、発令された。

(四)  本件配転と原告の生活関係への影響

原告が農家の長男であることは当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件配転当時、被告に出勤する前後の時間を利用して、養蚕を母親とともに行っていたこと、冠婚葬祭の手伝や養蚕関係団体の役員を引受けるなどの世間づきあいも行ってきたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

本件配転によって通勤に非常な支障をきたすとの点については、本件全証拠によってもこれを認めるに足りず、かえって、(証拠略)によれば、原告の東京事務所への通勤所要時間は、電車の乗り換えや待ち時間を一〇分間見込んでも合計二時間一五分程度であり、被告の従業員で国鉄高崎線籠原駅以遠から二時間前後かけて東京事務所に通勤している者も四一名おり、その一人である立石英勝も通勤に支障を感じていないこと、原告が希望するならば被告は借上げ社宅を提供する用意があり、このことは原告も了知していることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(五)  本件解雇に至る経緯

昭和五〇年一一月二七日付内容証明郵便で、同年一二月一日から営業部土木製品課へ赴任するよう、更に、同月三日付内容証明郵便で同月六日から赴任するよう重ねて業務命令が被告から原告になされたことは当事者間に争いがなく、(人証略)を総合すれば、次の事実が認められ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

原告は、本件配転命令発令の翌日の昭和五〇年一〇月三一日熊谷工場管理部生産管理課課長代理小林に農家の長男であること、通勤に不便であること、熊谷工場勤務を前提に入社したことの三つの理由から本件配転に応じられない旨申出をしたところ、右小林は配転に応じるよう原告を説得したうえで、このことを熊谷工場労務課課長代理吉崎に報告した。その後、同年一一月四日、原告の上司である石川係長が、原告に東京事務所に赴任するよう勧め、翌五日には、同月八日までに業務の引継をするよう指示を与えた。さらに前記吉崎は、同月六日、原告に対し、本件配転の理由として、営業部組織充実のために、土木製品課に欠員が生じ、その要員として製造工程を経験している原告が是非必要と判断されたこと、種々の業務を経験することが原告の能力開発、組織人としての成長に有益であることをあげて説明したうえ、総務部人事課長大沢に原告が面談して本件配転を理解するよう努めて欲しい旨説明したが、原告はこれに応じなかったため、同月一〇日から土木製品課に出勤しない場合は、欠勤扱いになる旨原告に告げた。同月七日午前中も吉崎は原告の説得にあたり、同日午後には、原告の所属する労働組合の書記長から、同人と副委員長が、原告と本件配転のことで面談し、その際、組合も原告の主張は妥当でなく、配転に応ずべきであると判断している旨原告に話したとの連絡を受けた。その後も、前記小林が原告の自宅にまで赴いて説得するなどの説得行為が続けられ、同月二〇日には、前記吉崎が、新任務に就くことが原告の成長に役立つこと、通勤もそれほど不便でなく、借上げ社宅の提供も可能であること、現に多くの営業部員が熊谷工場から配転になって活躍しており、原告にも協力して欲しいこと、労働組合や原告の同僚が配転に応じるよう原告を説得するなどして原告のことを心配していてくれること等を説明し、新任務に服するよう説得した。同月二五日には、前記大沢が、就業規則や本件配転の理由、更には原告の配転拒否理由についての被告の考え方を説明し、原告の再考を求めた。同年一二月二三日には、原告の求めに応じて、前記吉崎が、本件配転の理由を説明している。このように、原告は、再三、再四被告から本件配転についての説明、説得を受けたが、終始これに応じなかった。

(六)  配転命令権の不存在による解雇無効の主張について

そこで、被告に配転命令権が存しないことを前提に本件解雇の無効をいう原告の主張について判断すると、(二)においてすでに述べたとおり、被告は、業務上の必要性があるときは、技能、健康等を考慮のうえ原告に対し配転を命ずることができるものであるところ、(三)に認定した本件配転命令発令の事情からすれば、本件配転には業務上の合理的必要性があり、発令にあたっては原告の能力、健康その他の諸事情が総合的に考慮されていると認められるので、原告の右主張は採用できない。

(七)  思想信条を理由とする差別的取扱について

請求原因4(三)の事実はこれを認めるに足る証拠がない。従って、思想信条を理由とする差別的取扱であるから本件配転、本件解雇は無効であるとの原告の主張も採用できない。

(八)  権利濫用について

次に、本件配転、本件解雇が権利の濫用にあたり無効であるとの原告の主張について判断すると、本件配転の理由については、(三)に認定したとおりであって、充分な業務上の必要性があり、一方、本件配転による原告の生活関係への影響としては、(四)で認定したとおり、農家の長男である原告が出勤前後の時間を利用して母親と行っていた養蚕及び関係団体役員としての分担が行えなくなること、近所づきあいが困難になること、通勤に二時間一五分程度かかるようになることが認められる。しかし、被告においては昭和四五年三月から昭和五〇年にかけて農家の長男である従業員で熊谷から東京へ配転になったものが一九名おり、原告自身、採用面接の際、農業をやめて被告の仕事に専念できる旨述べていること、被告の東京事務所に国鉄高崎線籠原駅以遠から二時間前後の時間をかけて通勤している従業員が四一名もおり、その一人である立石英勝は通勤に支障を感じていないことも前認定のとおりであって、これらの事情を考慮すると、原告が本件配転によってその生活関係に対し受ける影響は、一般に労働者が使用者と労働契約を締結することによって当然うけることが予測される範囲、程度のものと認めるのが相当である。

また、本件配転命令後、本件解雇に至るまでの被告の原告に対する本件配転についての説明、説得の経緯は、(五)に述べたとおりであって、被告が、信義則に基づく説得を行わなかったということは到底できず、他に権利濫用に当ると認めるべき事由は見当らない。

従って、原告の右権利濫用の主張も採用できない。

(九)  解雇の有効性

以上によれば、原告は本件配転に応ずべき義務があり、原告が、被告の右配転命令に従わないで昭和五〇年一一月一〇日から同年一二月二四日まで営業部土木製品課に出勤しなかったことは、就業規則六〇条一項二号、労働協約四一条一項三号にいう「事故欠勤引続き二週間以上の者で、解雇を適当とするとき」(就業規則六〇条一項九号、労働協約四一条一項八号にいう「その他、前各号に準ずる場合で、従業員としての適格性を有しないと認められたとき」に該当するかどうかは触れるまでもない)に該当するものと解される。従って、就業規則六〇条二項、労働協約四一条二項に基づき三〇日分の解雇予告手当金を現実に提供したうえでなした本件解雇は有効であり、原告と被告との間の雇傭関係は、昭和五〇年一二月二四日限り消滅したというべきである。

三  よって、原告の本訴請求はその余の点について触れるまでもなく理由がないからいずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺卓哉 裁判官 塩谷雄 裁判官 飯島悟)

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